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マニラ () はアメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、および種牡馬。1980年代のアメリカ競馬の芝路線で活躍し、ブリーダーズカップ・ターフでヨーロッパ王者ダンシングブレーヴを破った。2008年にアメリカ競馬殿堂入りした。 == 経歴 == フィリピンの大手食料品販売店の会長であったエドゥアルド・コファンコ Jr.の生産馬で、生産者が所有していた母ドナイシドラは同馬のほかにも1984年にステートリードン(セクレタリアトステークスなど)を生んでいる。父のリファールはすでに実績のある種牡馬で、この年はマニラの他にも、後に対決するダンシングブレーヴ(凱旋門賞など)も出る当たり年であった。 後にターフ巧者として名を馳せるマニラであるが、1985年8月3日に迎えたデビュー戦はダートの6ハロンで、ここは7着に敗れている。年内はほかに2戦しているが、どちらも2着でその年を終えた。3歳になった翌年の初戦で、後続に8馬身差をつける圧勝で初勝利を挙げたが、以降はダートに見切りをつけて芝路線へと転向した。 芝路線へ転向した途端、マニラの快進撃が始まることになる。芝初戦の一般戦では7馬身半差の圧勝、続くフォアランナーステークスとサラナクステークス (G2) でともに2着、6月7日のシネマハンデキャップで重賞初勝利を挙げた。その勢いはなおも止まらず、8月にはG1ユナイティッドネイションズハンデキャップをレコードタイムで制覇、9月にはターフクラシックを勝って、その年最後の目標に狙いをつけた。 1986年の第3回ブリーダーズカップはサンタアニタパーク競馬場で開催された。ブリーダーズカップ・ターフの9頭の出走馬のなか、1番人気はヨーロッパの至宝・ダンシングブレーヴ、アイルランドから移籍してきたシアトリカルと、芝長距離路線の古豪牝馬エストラペイドがカップリングで2番人気、4番人気にこちらも芝長距離の強豪ダハールが支持されていた。マニラはそれらに混じって3番人気に支持された。錚々たるメンバーの中、マニラはシアトリカルをクビ差抑えて優勝した。この年、マニラはエクリプス賞の芝牡馬部門を受賞した。 翌年も現役を続け、年明けには、創設されたばかりのエルクホーンステークス(Elkhorn Stakes)〔2013年現在はG2。Equibase Elkhorn Stakes 〕、アーリータイムズ・ターフクラシック〔2013年現在はG1。Equibase ETターフクラシック 〕を2連続のレコードタイム勝ち、続くユナイティッドネイションズハンデキャップを連覇した。その次のバーナードバルークハンデキャップで2着に敗れて連勝が途切れるが、9月にはアーリントンミリオンを制して健在振りを見せ付けた。 しかし、アーリントンミリオンの後に故障が発生し、ブリーダーズカップを目前に引退することになった。通算成績は18戦12勝2着5回、デビュー戦以外は連対を外すことはなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マニラ (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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